ちくわの"ぐ"

降幡 愛さん、ラブライブ!サンシャイン!!、ポケモンなどなど

WATER BLUE NEW WORLDで振るブレードを終始"青"くするのは早計である

みなさん、こんにちは

ちーくゎーさーといいます

自己紹介など色々と挨拶すべきコトがある気もするのですが、今なによりも伝えたいことがあるので執筆することにしました

初の個人ブログ記事であり拙い部分もあると思われますが、最後まで読んでいただけると幸いです

 

 

今回の記事は

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「WATER BLUE NEW WORLD」の歌詞についての考察です

正直、今更感あるとか言われてそう

 一応、既に聴いたことのある人向けの記事ですので、ネタバレをきらっているならブラウザバックをおすすめします

 

 

では早速ですが、考察した結論から言います

 

 

 

 

「WATER BLUE NEW WORLDは、最後のサビまではブレードを青くして振るべきでない

 

 

 

 

............大多数から反発されそうですね、この結論

それどころか「お前ちゃんとこの曲聴いたのか?」とまで言われそう

 

順当に考えれば、曲をすべて通しでブレードを青くするのは曲名やアニメ2期12話ラストの会場からして当然の発想ではあります、筆者も元々はその考えでした

 

なぜ筆者がそのような結論に至ったか、その考察と過程を書き連ねていきます

 

 

 

 

1.時間軸

まずは歌詞を順に解釈していきます

 

......が、イントロの歌詞の解釈は一旦後回しにします

というのも、この冒頭の歌詞は落ちサビにおいて再び現れます

この構成がこの曲の、特に時間軸において大きな役割を果たしているのです

なので1番のAメロから解釈を始めていこうと思います

 

 

悔やみたくなかった気持ちの先に
広がったセカイを泳いで来たのさ

 

 

 悔やみたくなかった気持ちとはそれぞれ、あるいはAqours全体の抱えていた悩みや葛藤、挫折をそのままにしたくないといった気持ち、その先の広がったセカイとは彼女たちのこれまで進んできたキセキのことだと思われます

もっとも、キセキを軌跡と捉えると線的なものを想像できるが、ここではセカイとあるので面積や体積といったより"広がり"のあるモノではありますが

 

ここで「泳いで来た」とあるのは、海などにつよく関わるAqoursらしい表現と感じます

泳ぐという運動は歩く、飛ぶなどよりも抵抗のかかる場所で行うものなので、廃校の危機などあらゆる困難にぶつかってきたといった意味でも的確といえます

 

 

「あきらめない!」
言うだけでは叶わない
「動け!」
動けば変わるんだと知ったよ

 

 

ここの歌詞はおそらく視聴者が様々なシーンを浮かべた所だと思います

筆者は2期7話の廃校を止められなかったシーンが浮かびました

先の2行は廃校といった決して揺るがない事実を突きつけられて動けなくなった千歌たち、後の2行はそれを突き動かした浦の星一同のあのシーンだと想像できます

 

 

ずっとここにいたいと思ってるけど
きっと旅立ってくって分かってるんだよ
だからこの時を楽しくしたい
最高のトキメキを 胸に焼きつけたいから

 

 

 ここは2期全般、特に10話11話に近い歌詞だと考えられます

 「ここ」を「沼津」や「浦の星」、「Aqours」と置き換えればより伝わるでしょう、先の2行はそのままの意味ですね

最後の行は3行目の理由となる歌詞です、特に「胸に焼きつけたい」は同義となる歌詞が何度も登場するので重要です

 

そして3行目、この箇所が1番でもっともAqoursの伝えたい箇所でしょう

あらゆる方々が考察していましたがこの小節のみベースパーカッションの音が明らかに消えており、歌と歌詞を強調する役割を果たしています

 

 そのメッセージが「この時を楽しくしたい」

 

これは『ラブライブ!』シリーズ全般で一貫したメッセージでもありますね

 

 

ここで注目したいのは、あくまで「今」でなく「この時」と言ってることです

単純な意味あいとしては同じにみえますが「今」と区別して使ってるようにもみえます

実際に辞書をひいてみると「この」とは「あまり遠くない過去、或いはごく近い未来」とあります

つまり1番においてはまだ「今」を歌っている訳ではないといえます

 

 

MY NEW WORLD
新しい場所 探すときがきたよ
次の輝きへと海を渡ろう
夢が見たい想いは いつでも僕たちを
つないでくれるから笑って行こう

イマを重ね そして ミライへ向かおう!

 

 

 全体として未来へ向けた歌詞です

これらはここまでのAメロBメロを受けての答えとも考えられます

 後半の「いつでも僕たちをつないでくれる」ものである「夢が見たい想い」はおそらくAqours全員が共通して持っている、未来でも持っていられる夢は例えば「またみんなで集まる」などでしょうか、ここの歌詞は主に「願い」がこめられているので様々な解釈が可能かと思われます

 

 

 

 

ここまでが1番の解釈ですが、ひとつ共通している点がありました

 

 

それが「1番の歌詞は主に『過去視点』となっている」ことです

 

 

実際にここまで書いた解釈を順に並べると

→2期7話→10、11話→今とはあまり遠くない過去→から見た未来図

と書けます

こう並べると1番は過去の追憶をうたったものであると解釈できるのではないでしょうか

1番ラストのイマも、過去からみた今であると解釈すると同じく過去であると考えられます

 このような「過去」をうたった構成は2番でもみられます

 

 

時代(とき)は今日も過ぎてくとめられないと

気がついた僕らは どこへ向かうの?
大丈夫! いつだって思い出せるよ
駆け抜けてきた すばらしい季節を

 

 

 2番冒頭で早速「今日」とあり一瞬推測が破綻したようにみえますが、しかし今日と「今」では少なくとも時間幅において大きく差があります

今は今日よりも刹那的なものです

思い出せる、といった表現からも追憶としての側面があらわれていますね

 

 

ずっとここにいたいね 好きだよみんな
でもね旅立ってくって分かってるんだよ
たくさんがんばってきた時間が愛しい

最高のツナガリを いつまでも大事にしよう

 

 

大枠は1番と変わりません

歌詞が大きく変わる後半2行も3行目は過去を振り返った歌詞、最後の行はこれまでとこれからを綴っています

 

 

MY NEW WORLD
またココロが躍るような日々を
追いかけたいキモチで海を渡ろう
夢は夢のように過ごすだけじゃなくて
痛みかかえながら求めるものさ

 

 

ここもまた1番と時間軸の観点では大きく変わりません

 夢を過ごすだけでなく求めるものとした捉え方は1番Aメロの歌詞と同様に考えられ、より具体性を持たせています

 

 

 このようにイントロを抜いた1番と2番での歌詞は「過去」からうたったものであると考察できます

この要素は次に解釈するイントロ、落ちサビ、大サビにおいて大きく関わってきます

 

 

イマはイマで昨日と違うよ
明日への途中じゃなく イマはイマだね
この瞬間のことが重なっては消えてく
ココロに刻むんだ WATER BLUE

 

 

 イントロ、そして落ちサビにおける歌詞です

この箇所こそが、時間軸を考える上ではもっとも重要であると考えています

まず先の2行なのですが、「イマ」を昨日や明日と明確に区別して定義しています

これによりAqoursは「今」といった時間を、他の時間とは決定的に違う特別なモノとして扱っていることがわかります

特別というより、もはや他の時間とは"独立"してるような言い回しにみえなくもありません

そして3行目にある、この瞬間のことが重なるという表現はこの「今」という時間を更に強調(= 重ねる)した言い回しでしょう(なんか積分っぽいですね)

それが消えていくというのも、あくまで「今」というのは "先に延びたモノ" でなく "ただひとつの点" として扱っていることの比喩とも考えられます

そして、これら定義を受けての「ココロに刻むんだ」でしょう

 

 

 

ここで、先程の話です

ここまでの考察でイントロ、そして落ちサビは「今」を歌っていると考えられます

そして1番2番は「過去」を歌っているとしました

これらを順に並べると、「今」→「過去」→「今」→ となります

 

 

 

では、この「過去」というのを「回想」として挿入されたもの、冒頭は落ちサビの「予告」として考えるとどうでしょうか

 

 

 

 

ひとつの物語構成のようにみえるのではないでしょうか?

 

 

 

 

具体的にいうと、落ちサビと大サビの箇所がAqoursのもっとも大事にしている『今』、1番2番はそれとの比較対象かつ回想シーンとして挿入された「過去」、イントロはその回想を演出するための「今」だといえます

例としては映画などでみられるクライマックスシーンの直前を上映の冒頭でみせる技法あたりでしょう

 

 

以上を踏まえると、2番以前での歌詞は落ちサビ以降で演じられる「今」をより特別なモノへ昇華させるためのバックグラウンドのようなものであったと考えられます

 

 

 裏をかえせば大サビこそ「Aqoursの本当のクライマックス」と解釈できてしまいます

 

ゆえに、「WATER BLUE NEW WORLD」の大サビは相当に特別なモノなのです

 

 

では、大サビの解釈としましょう

 

 

NEW WORLD
新しい場所 探すときがきたよ
次の輝きへと海を渡ろう
夢が見たい想いは いつでも僕たちを
つないでくれるから笑って行こう

 

 

 1番サビと殆ど変わりませんね

しかし大サビにおいては「今」を歌っています

つまり今まさにこの瞬間に旅立とうとする歌詞なのです

1番ではあくまで「あまり遠くない過去」でしたので、言葉としての重みが違うように感じます

意味そのものは大きく変わりませんが、想いはよりいっそう強くなっているのではないでしょうか

 

 

ココロに刻むんだ この瞬間のことを
ココロに刻むんだ この瞬間のことを 僕らのことを

 

 

 そしてこの歌詞です

「ココロに刻む」「胸に焼きつける」といった表現は何度も登場しており、いかに「今」を大事にしているかをひしひしと感じます

そしてそれを反復していることと倒置法により更なる強調が施されています

反復 = 表現を重ねるとすると、落ちサビの3行目との表現の重複も感じます

 

 

イマを重ね そしてミライへ向かおう!

 

 

ここで、志向が「今」でなくミライとなりました

これにより「今」をひとつの独立したものとして切り取って、完全に決別したと解釈することができるでしょう

 

 

 

 

 以上がこの曲の、時間に注目した歌詞の解釈です

初見では一貫して「今」をうたった曲だと筆者は思っていましたが、いざ解釈を進めていくと回想のようなパートも存在しているなど想像以上に入り組んだ曲であると実感しました

そして、「今」を限りなく大サビに集約している構成となっているとも感じました

ですので、この曲を表現するにあたって1番2番とラストをある程度区別して考える必要があるのではないでしょうか

 

 

 

 

 

 

2.所有格

ここまで歌詞をひとつずつ解釈していきましたが、まだ完了していない箇所があります

それが「MY NEW WORLD」、「WATER BLUE NEW WORLD」の部分です

ここは曲の根幹でもある曲名に大きく関わるので詳しく取り上げていきます

 

・「MY」 NEW WORLD

こちらの歌詞は「過去」の部分におけるサビ冒頭に現れており、またどの歌詞にもかかっていません

このことから、この歌詞は1番2番サビの主題とも考えられます

そして「WATER BLUE」とのもっとも大きな差別点が「MY」です

このMYというのは英文法において「所有格」を表します。これによってNEW WORLDの主体が「自分」にかかります

ここでいう「自分」とは、この歌を演じているAqoursのことでしょう

 

しかし仮にそうだとしたら、何故「OUR」ではないのでしょうか?

 

OURは意味としては「私たち」なのでAqoursといった「集団」を指しているのなら、こちらのほうが表現としては適切です

ここで敢えてMYが選択されているのは、この「NEW WORLD」というのが「過去」の時点ではAqoursのメンバーのそれぞれ1人1人にかかっているものだからではないでしょうか

それぞれの思いといった描写は2期12話でも取り上げられており、それと重なっている気もします

 

 

 

・「WATER BLUE」 NEW WORLD

こちらの歌詞は「今」の部分におけるサビ冒頭に現れます

題名そのままであり、それを大サビ冒頭に持ってきているのでこの歌においてもっとも重要な箇所であるといってもいいでしょう

 

そしてここの歌詞で特に注目されるべきところは、「所有格を失っていること」です

 

この事実を先程までの考察と比較することで

『「NEW WORLD」を所有していたのは個人であったという"縛り"が、「今」この瞬間に解き放たれた』

と解釈できるのです (少々抽象的な気もしますが)

 

 

では、「NEW WORLD」は誰にとってのものとなるのでしょうか

 

 

 

 

 

 

答えは、誰のものでもない、です

 

 

 

 

強いて挙げるなら、「今」その場に存在する"すべて"、です

 

 

例えを出すならそれこそ「海」でしょうか

海は誰か個人にのみ所有を許されているものではなく、言ってしまえば利用している人すべてのものだといえます (領有権など取り上げるのはナンセンス)

 

ですので「WATER BLUE NEW WORLD」の大サビは、Aqoursのみならず会場すべてを巻き込んだひとつのセカイであるといっても過言ではないのです

 

 

3.主張

では、1と2で考察したことを対応づけしてみます

 

・1番2番......「MY NEW WORLD」は「Aqoursメンバーそれぞれ」のものであり、「過去」にあるもの

 

・大サビ......「WATER BLUE NEW WORLD」は「誰のものでもなく」、「今」そこにあるもの

 

このように比較してみると同じ1曲のなかでありながら、前半と後半で世界観が大きく異なっていることがわかります

前者はメンバーそれぞれとあるように、そのときの世界観はひとりひとりの輝きで構成されていると考えられます

そして後者は「今」という作品中で一貫したテーマを背負っており、そこで演じられている世界観の形容が「WATER BLUE」、つまりこのとき「青き水の新世界」が広がっているのです

 

 

 

このように「WATER BLUE NEW WORLD」を言語化、或いは視覚化するならば、前半と後半の世界観を大きく区別して表現すべきだということが考察できました

 

また大サビにこそ彼女たちの「今」が詰まっており、それをより高めて昇華させるための表現や構成、緩急がちりばめてあるとも考えられました

 

 

 

 

来たる3rdライブではこの曲が遂に目の前に広がっている瞬間に立ち会える訳ですが、その時にどこまでココロに刻めるかは事前にどこまでこの曲から受け取ったモノがあるかで決まっていると思っています

この記事が、みなさんのこの曲について考える一助になれば幸いです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

............と、ここで考えを留めてしまうのはまだ「受け手」思考である証左です

確かにライブで発信をする主体はAqoursであり、私たち観客はそれを享受する構図であることは間違いありません

しかし、こちら側にもその発信を "返す権利" があるとも考えています

例えばフラスタ企画、例えばコーレス、ブレードを振るだけでも立派な返しとなり得るのです

そしてどのような返しも"自分自身の思い"に従って行うべきでしょう、周りに流されてしまってはただの便乗です

 

 

 

では、今までの考察を受けて彼女たちにはどう返せばよいのでしょうか

 

 

 

 

 

 

それが、「ブレードの色」です

 

 

 

 

1stライブなど何度か言及されていますが、彼女たちにとってブレードの光に包まれた会場というのは相当に印象深いそうです

実際に2期12話のタイトルは「光の海」であり、これをライブ会場の様子を比喩したものと捉えるのはそう不思議なものではありません

作中のキーワードのひとつである"輝き"から連想して「ブレードの光 = 輝き」と解釈すれば、観客ひとりひとりのもつ輝きの表現方法のひとつとも捉えることが出来ますね

 

 

では先程までの考察をブレードの色に対応させてみるとどうなるでしょうか

 

 

まず大サビ以前はAqoursメンバーそれぞれの世界を表現していたので、ここは会場を「9色」で染めるべきです

 

そして大サビで「WATER BLUE」、つまり会場を「青一色」で染めるべきなのです

 

もっと言いますと、落ちサビから大サビに切り替わるときの歌詞が『WATER BLUE NEW WORLD』ですので、その瞬間にこそあの2期12話のラストのような青で会場が埋まってほしいのです

 

 

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4.あとがき

以上が、私のみなさんに今一度考えていただきたい話でした

いかがだったでしょうか?

 

正直なこと言ってしまいますと、「本番の会場はどちらにせよ終始青一色になる」でしょう()

それがいちばんブナンです

ただ筆者としてはせめて、程度はどうであれ "根拠ある自身の主張" は持っていて欲しいと思っています

主張なしでは、ただ適当に受け取るだけの人間になってしまいます

 

彼女たちはゼンリョクをもって楽しく、そしてココロ動かすステージをつくってくる筈です。ならばそれに応えるのはファンが出来るゼンリョクではないでしょうか。その相互関係こそ、ライブの醍醐味の筈なのですから......

 

 

 

「WATER BLUE NEW WORLD」は間違いなくAqoursにおいて『最頂』の曲です。

きたる3rdライブ、"ゼンリョク"でいきたいものですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 5.余談

ところで、作中では青い羽根がいっぱいに広がるシーンがサビ前にありましたね

 

 

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私はそれを3rdライブで再現、つまりは「作中と同じタイミングで青い銀テープが会場を舞う」といったことをやってほしいと思ってますが、みなさんはどう思いますか?

 

これをやってくれるなら、大トリはこの曲になりそうな気もするんですよね(やって)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお、今回の考察は「誰がどの歌詞を担当したか」、「どの曲と対応づけをしているか」などを除外しました

というのもこの曲はあまりにも多様な要素が詰まっているので、すべて考慮すると記事があまりにも膨大になってしまうからです

別の有志の方がそれについての考察した記事を公開してますのでそちらにあたってください